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think-routine #1 「ミニゲーム」が「ボーナスステージ」でないとしたら、それは何だろう

文章: dotimpact
カテゴリ: [/text/think-routine]
初出:1998-10-06


■コンピュータゲームの開発者が、「ボーナスステージ」という概念を忘れてすでに久しい。

■とか、書き出してはみるもののそれは忘れられてもしかたないものでもあるのだった。なにしろ今「ボーナス」得点が与えられたって誰も喜ばないに決まってるし、気づいてみればゲームにおいて「ステージ」という区分自体がむしろ珍しいものになってる。そんな「ボーナスステージ」はいまや完全に過去のもので、必要がない以上忘れてしまったって問題なんかなく、実際そうなってるともいえる。

■しかし、僕だって「必要がない」と考えれば昔の話なんかしないわけで、ここでこう書き出したのは、いまでいう「ミニゲーム」の使われかたを見るに、かつての「ボーナスステージ」という概念が「必要があるのに忘れられている」ような気がするからだ。いまでいう「ミニゲーム」とは、みんな知ってるああいうやつだが、往年の「ボーナスステージ」を思い出してみれば、このふたつはくらべられるくらいよく似ている。「ミニゲーム」が忘れられた「ボーナスステージ」と違うとすれば、いったいそれは何なのだろう。

■そんなわけで忘れられている「ボーナスステージ」について思い出して、いまでいう「ミニゲーム」とくらべてみれば、「ミニゲーム」というものの持つ一種の暴力性について明らかにすることができる。そもそもゲームに組み込まれているはずのものをなぜもう一度「ゲーム」と呼ばなければならないのか? そしてなぜわれわれはそこで「ミニゲーム」をやらされなければならないのか?

■かつての「ボーナスステージ」というものは、プレイヤーに対する一種のサービスだった。サービスというのは原則として、「本来の目的を邪魔するものであってはならない」。そして実際「ボーナスステージ」はこの原則に実に忠実でありそのための労を惜しんでいなかったように思う。かつてあった「ボーナスステージ」にはまず間違いなくタイムリミットが設けられていたし、そこで行われるアクションも本編のゲームに即していなければならず、本編のゲームに関係ないことはできる限り避けられていた(はずだ)。その結果、多くの「ボーナスステージ」は本編のゲームを否定することなしに、本編のゲームとは別の「美しさ」を獲得していた。「ボーナスステージ」は本編のゲームとは完全に分離されながら、かつ本編のゲームと一体のもので、われわれは「ボーナスステージ」を本編と同じように気持ちよく遊ぶことができ、また遊ばないことだってできた。しかしその点において、「ミニゲーム」はどうだろう、まったく逆じゃないか?

■ゲームを気持ちよく遊ばせるための「ボーナスステージ」に対して、「ミニゲーム」はただそこで手間を取らせるためだけに配置される。だからやらされることは本編のゲームにちっとも関係ないのに、それをやらないことには先に進めない。ここではっきり言っておきたいけど、あるゲームのために別のゲームをやらされることはぜんぜん気持ちのいいことじゃないんだ。脈絡がないうえにそれを誰も望んでないなら、サービスどころか、それはもう暴力というしかない。

■個人的にこのての「ミニゲーム」の暴力性で一番「すごい」と思ったのはマリーのアトリエでの「ミニゲーム」だった。このゲームでは、所持アイテムのチーズをネズミが盗む、というハプニングイベントが起きると、プレイヤーは唐突にネズミを捕まえる「ミニゲーム」をさせられてしまうのだった。これはちょっと「すごい」サービスだ。誰がこれで喜ぶんだろう、と思ったところで僕は「ボーナスステージ」とはまた別の昔の話を思い出した。

■任天堂ファミリーコンピュータが小学生あたりに大ブームだったころ、ゲームを原作にした、あるいはゲームの設定を模したようなテレビアニメがいくつも放映された(今でもありますね)。そういうアニメを見ていた僕がなにより不快だったのが、このてのアニメが“展開をはしょりたい”場面になると、かならずドット絵風のキャラがパタパタ動くような、「ゲーム画面風」のカットを入れてお茶をにごすことだった。理にかなった演出だと思っていたのか、あるいはゲームファンへのサービスのつもりだったのかもしれないが、なんにしろその「ゲーム画面風」のカットは「つまらないゲームを絵に描いたもの」以外のなにものでもなく、僕なんかはそのゲームへの無理解にほとんど怒りを感じていたわけだ。「ゲームは、そうじゃねえよ」とね。

■なんのことはない、いまでは当のゲームが「そういうの」になってるってわけだな。まあでもこっちの昔話については、いまさらどうこう言うつもりはない。忘れようとも。しかしそれでも、いまや「ボーナス」や「ステージ」が意味を失ってるとしても、「ボーナスステージ」がわれわれに何をさせていたかについては、やっぱり忘れてはいけないと思うよ。「ボーナスステージ」のように、「ミニゲーム」も本編のゲームを否定してはいけないし、できればそこに「美しさ」も求めたい。「ゲーム」の中での時間つぶしやアリバイ作りのために「ミニゲーム」をさせられるなんて、そんな不幸な話はないんだからね。


注釈とか余談

本編のゲームとは別の「美しさ」
マッピーのチャレンジングステージは、「ボーナスステージ」としては最高の「美しさ」を持つものの一つだけど、だからといってそれだけやって楽しいものだとは必ずしもいえない。本編に組み込まれてこそ「美しさ」を体現できるものなんじゃないかな。
当のゲームが「そういうの」になってる
当時そういうアニメを作ってた人たちがいまゲームを作ってるって事情もありますがね。ちなみに今の「そのてのアニメ」はそんな不粋なことしません。
at 1998-10-06 00:00 / permalink
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